神奈川県の大磯町にある治療院のブログです
来年、2012年はどんな年?(壬辰について)ーその1ー
  ブログも、日々書くこと(それ以前にパソコンに向かうこと)を習慣化していないと、全く途絶える事になる。中学校の理科で習った慣性の法則はこんなところにも適用するようだ。

  さて、来年はどんな年になるだろう?昨年もこのブログで独断による予想をしてみたが、今読み返してみると、「なるほど」と我ながら思う。

  私の予想は、算命学を基本として考えている。中国古代の陰陽論を原点として、暦を十干十二支で割りだし、現代の社会性や状況に照らし合わせて解釈する。
  まあ、たわいもない、勝手な戯れごとなので、以下時間つぶし程度で読んでもらえたらありがたい。

  来年は、干支で壬辰(みずのえ・たつ)の年である。

  まずはその意味であるが、一言で壬(みずのえ)は大海。
  辰は、新たに起こるとか自由気まま(どちらかというとカオスに近い)を意とする。

  海の中に辰がいるイメージを想像していただきたい。本来、辰は天空を飛び回る架空の動物である。しかし、その辰が海にいるのだ。

  海にいる辰は、もちろん自分では大きな海を動き回っていると思っている。しかし、そこは所詮海であり、天空ではない水の中。限界があるのである。どんなに動き回っても海は海。つまり、海の上には実は、無限の天空が広がるのに、それに気づかないでいる状態なのだ。
(その2に続く)

空と雲と大地。これは不変だ。


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来年、2012年はどんな年?(壬辰について)ーその2ー
  これは来年の社会状況で解釈してみると、一言で「圧迫、抑制」の年になるということ。

  もちろん、各人がその圧迫下の状況に満足しているのであれば問題はない。しかし、もっと大きな視点から見て、海の上には天空があるのだということに気がつくと、そこは、とても窮屈な空間となる。

  人は、各自それぞれの価値観や世界を持っている。 何かに縛られていたい、縛られて安心したいと思う人は、それはそれで良いだろう。だが、自由こそ生き甲斐という人にとっては、来年は不安な世の中になるのではないか。

  私は、その圧迫、抑制を「情報」と見ている。どういうことかというと、何においても情報が氾濫し、情報過多となる。

  日々刻々と変化する情報。多くの人にとって、この世の中で頼りとしている情報源は、マスコミである。テレビ、新聞、そしてインターネット。色々な政治家や文化人たち、今まで世間にオピニオンリーダーと言われてた人たちが、各自勝手な情報を流す。さらに一般の人達もツイッターなどにより勝手なことを言い流す。

  しかし、様々なところから発信される情報は、あまりに氾濫するので、何が真実で、何がウソなのかが、わからなくなってしまう。そこで、大衆(恐らく日本だけでなく、世界中)はその情報というものに翻弄されることになる。
(その3に続く)

この時期にピラカンサスの花が咲く。
これもひとつのハプニングである。


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来年、2012年はどんな年?(壬辰について)ーその3ー
  また、壬辰年は、想定外のことが起こる(ハプニング)年である。

  そうしたハプニングに対して、いかに冷静かつ覚醒した状態でいられるか。各人のそれまでの生き方の真価が問われることになる。氾濫した情報に振り回されず、真実、そして真理たることに従い行動することができるか。

  極端な話、地球上の一生物である人類全体にとっても大事な選択を迫られる年になるだろう。そして最後は、生き方そのものに対し、各自が責任をもって決断しなければならなくなる。

  周りに流されるのではなく、今から(本当に今この瞬間から)、自分自身の立場(生きて行く世界)というものをしっかりと意識しておくことが必要である。

  こうした立場を常に踏まえ、しっかりと大地に立つこと、深く根を張り始めることが、翌年(2013年)の巳年にむけての大事なステップにもなっていくであろう。

来年もよい年でありますように。


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紫陽花の季節(2)
  JUGEMテーマ:四季折々

  6月は私の好きな季節である。梅雨だし、いつもじとじとしているけど、夏に向かって、日に日に緑が濃くなっていくその色と匂いの感じが好きだ。雨が降る度に緑が青々と変化していく姿を見るのはとても楽しい。

  植物だけでなく、シジュウカラなど鳥の鳴き声は朝から一段と大きく元気になるし、庭には色々な模様の蝶もやってくるようになる。治療院のある場所は、いつもとても静かなのだが、この時期の夜はときどき猫の盛り声も響く。最近当院の屋根がある野良猫の縄張りの一つになったようで、屋根を走り回る音が激しい。そういえば、先日、軒下に蜂が巣を作りだしたこともあった。これはさすがに危ないので、ほうきでたたき落としたが。。
  まあいずれにせよ、植物も動物も昆虫も元気に動き回る季節なのであろう。

  しかし、逆に、うちに来る患者さんは、どうもこの季節が苦手という方が多い。気圧の影響もあるのだろうか、関節痛の患者さんは痛みが増すし、ジトーという暑さで気分がすぐれない、という患者さんもいる。そんな患者さんに対して、何とか気持ち良くなってほしいという思いで治療するのだが、自然とは逆に、人間にとってこの季節はマイナスイメージが強くなってしまうようである。
  それでも、梅雨の季節にも関わらず、当院に通っていただいている患者さんには、とても感謝している。

  ところで、庭の紫陽花の色がとても美しい青になった。前回のブログではまだ色がつき始めたあたりだったけど、ようやく紫陽花らしい色になった。今年も庭の片隅でたくさんの花が咲いた。毎年よくもまあ忘れずに咲くものだと感心する。
  紫陽花は切り花にして水差ししておいても、かなり長い間きれいに咲き続ける。ご希望の方がいらしたら、治療後にでも声をかけていただければ、切ってお分け致します。



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いのちの林檎
  先週の日曜日、大磯で「いのちの林檎」上映会があった。化学物質過敏症患者の日常を追ったドキュメンタリー映画である。主人公である早苗さんは、シックハウス、近所のゴルフ場の農薬散布が原因で発症。タバコや香水といったわずかな化学物質でも呼吸困難や発作をおこしてしまう。そのため空気のきれいな環境を求めて過酷な旅を続けるという内容だ。

  この現代社会においては、日常生活のほとんどが化学物質によりできているため、これを避けて生きていくのは極めて難しい。
  治療に関しては、今のところこれという薬は開発されておらず、生きていくためには、化学物質に汚染されていない場所に住むしかない。

  タバコの煙で気分が悪くなるという人もいるが、その人は、既にこの化学物質過敏症が始まっているということだ。つまり、現在の我が国においては、化学物質過敏症という病気は、いつでも誰にでも発症する可能性があるということを、我々は真剣に受け止める必要があろう。

  この映画は、早苗さんが、ある林檎により命が助かるという展開に向かう。ある林檎とは、木村秋則さんが無肥料、無農薬で作った林檎である。木村さんは、NHK番組の「仕事の流儀」でも放映され、多くの著書も持つ。無肥料、無農薬という自然の姿に近い生態系の中で林檎を育てるという農法をあみだした人物である。こうした自然農法で作られた作物が今後も広がっていくことを期待したい。

  ところで話は変わるが、何冊か読んだ木村さんの著作のどこかに「キュウリのツルに指をあてると、ツルが指に巻き付いてくる」と書いてある文章があったのを思い出した。
  早速今朝、庭先で育てているキュウリに指をあててみた。するとその通り!キュウリのツルがみるみるうちに私の指に巻き付いてきたのである。何ともかわいい。植物とはいえ、やはり自然の力はすごい。

  いや、植物とはいえなど大変おこがましい。生き物全て自然はすごい。



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マラソンランナー
  先週の日曜日(1/23)に、湘南国際マラソンが開かれた。
  神奈川県鍼灸マッサージ師会でマッサージのボランティアをするということで、私もゴール会場となる大磯ロングビーチまで手伝いに行ってきた。時間の合間をぬっての参加で、午後の2時間くらいしかできなかったのだけど、さすがにというのか、当然というのか、マラソンフルコースを走ったランナー達は、体力限界、ヘトヘト状態でゴールに到着する。そのままゴール横にもうけたマッサージブースに駆け込んでくる。

  そして、我々ボランティアは次々に、ランナーの痛んだ筋肉をもみほぐしていくのだ。
  鍛え上げた筋肉、それはやっぱり普通とは違う。でも何よりも驚いたのが、ランナー達みんなが話してくれた言葉。「また来年も来ます!」だった。マラソンに来るのか、このマッサージに来るのかはわからなかったけど、要は、こんなに走って筋肉痛で顔をしかめていても、また走りたい、ということなのだろう。確かにランナーの表情は疲れながらも恍惚状態であることが多い。

  フルマラソン後の脳内ホルモン恐るべしである。
  ランナーズハイとはこのことか。

  一度味わってみたいけど。。。まー現実は無理か。。。

当日は2万人以上のランナーが走った。お疲れ様でした。


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金子みすゞと陰陽論 その2
JUGEMテーマ:最近読んだ本

  先日のブログで金子みすゞの紹介をしたが、今回ももう一度、同女史の「大漁」という詩を紹介する。

大漁

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう

「金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと」より JULA出版局刊

  これは確か、小学校の教科書にも載ったことがある有名な詩でもある。何ともいえない切なさを感じるが、これもやはり前回述べた陰陽論そのものなのである。「祭り」という喜びと「とむらい」という悲しさ。正反対ともいえる感情が同じ時間に存在するのだ。

  鍼灸専門学校における東洋医学概論という科目では、まず最初に陰陽論を学ぶ。それは陰陽可分(かぶん)という単なる対立だけではなく、相互に依存する陰陽互根(ごこん)、陰陽は常に不断の運動変化のなかで行われているという意味の陰陽の消長平衡(しょうちょうへいこう)、さらに陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となるという陰陽の相互転化など、色々な意味を持つ。(漢字が並び難しいので、深く考えず流して下さい)

  この陰陽のバランスをいかにとるかが、鍼灸医学の基本になる。
  上記の詩のように、悲しみと喜びといった感情面でのバランスを保つことは、誰であっても難しい。悲しみが深く続けば、心だけでなく身体にも支障をきたすし、喜びがずっと永遠に続くことなどもありえない。

  しかし、どちらかに偏るのではなく、この世の中は、陰陽の両方が存在する世界なのだ、と冷静客観的に眺めることができれば、それで済むのではないだろうか。
  常に中庸。日々平常心。といったあたりなのだろうけど、私のような凡人は、いつもちょっとした感情に振り回されてしまう毎日である。半分あきらめの、このどうしようもない感情の揺らぎ。これも陰陽なのだ。

紅葉も陰陽(於:湘南平)


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金子みすゞと陰陽論
  先日、本棚を眺めていたら、「金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと」が目に触れた。確かだいぶ昔に会社の後輩からもらった本だ。
その当時は、さっと読んで、「ふーん」で終わった記憶があったが、その日は暇だったこともあり、手に取って読んでみた。
  タイトルでもある「わたしと小鳥とすずと」を読んだとき、これは東洋医学の基本思想である陰陽論そのものではないかと思った。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

(出典:わたしと小鳥とすずと JULA出版局刊)

  作者の金子みすゞは、昭和5年、26歳の若さでこの世を去った。
この詩が何歳のときに書かれたかはわからないが、この世界の存在全てを肯定し、かつ冷静に世界を眺めることができる希有な人であったと思う。

  この世は陰と陽で成り立っているとするのが陰陽論であり、古代中国で起こった思想である。つまり、日が当たるか当たらないかということから発生した考え方だ。天と地、昼と夜、明と暗、火と水、男と女、熱と寒など。この世は全て二極化されているとする。この二つは、一見対立しているように見えるが、補完しあう関係でもある。
  この詩の最後にある、「みんなちがって、みんないい」は、まさに陰陽論の意味するそのものではないだろうか。

   今のこのご時世は、情報化社会とも言われ、ありとあらゆる物と情報が氾濫している。そしてテレビも新聞もインターネットも、あらゆる意見、見方、考え方であふれている。しかし、どっちが正しいとか、間違っているとかではなく、結局のところいろいろあっていいわけで、みんなちがって、みんないいのである。みんなちがって、みんないい。そんな風に日々感じ過ごすことができたらいいなと、この詩を読んで思ったのでした。

昼寝もまたよし


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